a pleasant time I found
2011年 12月 09日
快適さというのは自分で探さないと見つからない。
お届けもののように「快適」が届くわけではないし、そこらへんに売っているものでもない。
ただ、これは快適だ、と目頭の奥とか、胃袋の上のほうとかにチリチリとした波動のようなものを感じたときが、人が快適な状況にいる、と気づくときなんじゃないかと思う。
でも、気づいたときにはすでにその「快適」にどっぷりと浸かっているのだから、ともすれば
快適な状態が終わってしまったときに、気づくのだ。
嗚呼、快適だった。
と。
毎日はだいたいそんな繰り返し。
今日が快適じゃなくてもそれは私が「快適だった」と気づいていないだけなのかもしれない、と思うことで、追加の快適がやってくる、ということもありえる。
今日から大学に居残りをして、しっかり宿題に取り組む生活スタイルを作ることにした。
たしかに前期はそんな生活をしていた。
宿題はサクサクとテンポよく終わったし、仕事もうまく片付いた。
そんな快適さをレインボーカラーに彩られた夏がきて、過ぎたころにはすっかり忘れてしまっていた。
あまりにも日の光は少ないし、空は灰色の日も多い。
そうして探し当てた。
わたしの快適を。
それは図書館の奥のほうにあった。
とっておきのWindowsの席だ。
大学はマッキントッシュが主流を占めるなか、申し訳なさそうにWindowsもある。
たった今、5時間かけて翻訳した課題ができた。
翻訳は必要なく、要約でいいのだが、要約するには翻訳をしなければいけないのだから、矛盾は募る。
ヘッドフォンではインターネットJazzでシアトルジャズが流れている。
そうだ、大学のパソコンにはヘッドホンもついている。
これが快適じゃなくてなんなのだ?
シアトルとジャズってどんな関係があるんだろうと思いながら、
この快適さを味わいながら、また次の宿題に取り組むことにする。