時速300キロの社会
2011年 12月 27日
大学は就職予備校なのか?
大学で学んだことは全然社会で役立たない、と思っている人は多いと思う。
でも、現実はこうじゃないかと思う。
社会が大学で学んだことを生かしていない。
つまり、大学に行こうが行くまいが、それなりの仕事しか与えていない日本の会社構造に問題があるのではないか、ということだ。
だから、ユニクロみたいに大学1年生での採用とか言い始める。
大学は思考に広がりと深みを作る場所だ。
少なくともそうあるべきところだ。
深みも広がりも必要ない人は、大学の入口から出口までを新幹線かなにかで
一気に通り抜ければよい。
しかし各駅停車でしか見ることができない景色や感動がそこには詰まっている。
花を新幹線から見ても綺麗だとはだれも思わない。
教育ということについてのエッセイでアメリカ人が書いたものを良く読むのだが、アメリカの教育はひとことで言えばこうだ。
創造力を広げ意見を自由に述べ、書き、表現することを学び、自尊心を高めるための場所
大学はそういうところだ、少なくとも。
そのために大量の本を読ませ、それについての意見を述べ合い、エッセイを書かせる。
日本の大学生のほとんどは社会に出たときに
意見を述べ合うことも
レポートにして報告することも
創造力を求められることも
ない。
そして「仕事ができる」とは、
縦社会の連携がうまくとれること
であり、
チームワーク
であり、
なによりも
コミュニケーション力
なのだそうだ。
そしてわたしは思う。
そこにはいつもfor whatが欠けている、と。
何のために、どこに向かって、どのような結果をもたらすのか。
目的のない列車はただスピードをあげて、花々を蹴散らしながら走り去っていく。
根回しと隠蔽と圧力と既得権に守られながら。
別に乗り遅れたところで、たいした損ではない。