無重力のキャッチボール

私がとても面倒だと思うことのひとつに「つまらない話が延々と繰り返される」
とういことがある。

つまらないかどうかは話しを最後まで聞いてみなければわからない。
延々と繰り返されることも、まぁ、経験してみなければわからない。

でも、往々にして「つまらない話」には来るな、という気配と、来たなという確信と
またか、といううんざり感が、一斉に襲ってくるような感覚がある。

さらにあろうことか、そういうつまらない話は話している方にとっては、意外と
大事なことのようで、何度も何度も小出しに出してくるのだ。

つまらない話はなぜそんなにもつまらないのか。

1 オチがない。 
聞き手は話をきいた結果、その話し手がなんらかの結論なり
解釈にたどりつけば、聞いてるだけでも安心できる。聞いた甲斐という代償を求めているのだ。しかしたいていは突然途切れてしまったような電話の会話の状態に陥る。

2 きわめて個人的すぎる。
 昨夜見た夢の話を延々と聞かされるのと
同じで、どこかに「一般論」を入れてくれないと、聞き手との接点がなさすぎる。
おそらくその接点のなさをまったく気づいていないことも「つまらなさ」に拍車をかける。

3 聞き手のリアクションを無視する。
 話というのはキャッチボールだと
誰もが知っている。 にもかかわらず、相手のリアクションに対しての更なる
リアクションを返さない人のなんと多いことか。
例をあげよう。

A「今日のご飯は何を作ろうかな。」
B「昨日の献立はなんだったの?」
A「今日はスーパーが安売りしてるんだよね、ほら、近所の。」
B「あ、確かに。野菜が100円均一だったよね。」
A「肉料理がいいなぁ。」
B「野菜と肉を使った何かにしてみたら?」
A「ご飯作るのって、面倒だよね。」
B「ほんと、そうだよね。 だいたいうちの旦那が帰ってくる時間も読めないし。」
A「は~あ、そういえばお米って家にあったかなぁ。」
B「うち結構買い置きしてるほう。 Aさんは?」
A「米料理で考えると何がいいんだろう・・・。」

この手の会話は巷で、いたるところで繰り返されてるはず。
年齢関係も関係ない。大学生も、社会人も、ママ友にも見られる。
ただ時間を消耗するだけの不毛な時間。

つまらない話にはつまらない時間が伴う。
そんなことに時間を使うくらいなら、ひとりでのんびりとCafeで
1冊の本を読んだほうがずっとマシだし、なにもしないで脳内会話をしている
ほうが健全とすら思える。

しかし、この世は「つまらないもの」に取り込まれなければならない。
Aは自分の目の前にいるBを待ったく見ず、おそらく関心をもつこともなく、
自分の世界を繰り広げる。

Bが投げ返したボールは二度と返ってこない。
Bはそうして消耗していく。
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by mysakuranbo | 2012-01-27 13:35 | 日々の出来事 | Comments(0)

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