ユーモアの伝道師

レポートに突入した。
朝から2時間ぐらい書いていて序章は最高の出来具合になった。
序章だけでA4、1枚も費やしてしまい、本文の長さがどうなるのか
心配になる。

しかし、今日はこのまま集中して走り続けると
いいものが書けるような気がする!
そして、今朝の感じから、なんと卒論のテーマにまでたどり着いて
しまった。

わたしが一番面白いと思うもの。

それは

ユーモアとパロディとシニカルなのである!

ブログとかいろいろ読んでいてくれる人はわかると思うけれど
わたしは多分にそういうことが好きな性格なのだ。
ブラックユーモアにあるブラックなものを見て取るのも大好きだし
パロディなんかもちろん大好き。(パロディは大きなブラックユーモア)

やっぱりこれで行こう。
本文に隠れるブラックユーモアを見ていくなんて
こんな素敵なことがあるだろうか。

いわゆるフェミニズムとかジェンダーとかの目線で文学論文を
書く人は実は女性にはとても多いのだけど、わたしには向かない。
フェミニズムのフェミニズムたる土台がわたしにはないのだ。

たとえばAが女性としてBという男性への態度を硬化させたとしても
それがAの「女性としての心境」に基づくものかどうか、書き手の
わたしが「女性としての心境」に同調することができなければ、それについて


Aはかくかくしかじかの理由によりBへの嫌悪を抱いた


のようなことを言うことができない。
(抽象的な表現ですが、文学はほとんどの場合抽象的に進む)

文学とは心の深層心理を書くものであったり、作者の叫びだったり
するのだが、別に深層心理が常に「暗かったり」「敗北感」だったり
「無気力や空虚」で満たされている必要はないんじゃないか、というのが
わたしの論点。

心のなかには、この状況を脱しようとする「底抜けの明るさ」や
「おおらか」や「逆境のなかの笑い」というものがあるはずなのだ。

そういうところでユダヤ人の人の書いたものに、「明るさ」を
見出してしまう。

現実がどのような悲劇であろうが、心は明るいということも
十分ありえる。
世間が大不況だろうが、どのような逆境にいようが、逞しさというものは
心の何かを超えてほとばしるものではないか、と思うからだ。

これ、そのままずっと研究していったらおもしろいだろうなぁ。
日本人とユーモアはおそらく永遠の課題。
外国の文学からそんな軌跡をたどることができ、また、そんな文学を
沢山紹介することができたら、楽しいね。

2012年2月2日という日を覚えておこう。
[PR]
by MySakuranbo | 2012-02-02 10:20 | -趣味のアメリカ | Comments(0)

毎日が新発見


by me
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31