Afterall I was worn out

昨日から突然家のなかの整理を開始した。
やらなくては、と思いつつ寒い部屋での作業がいやで延び延びにしていたのを
ようやく手を付けた、というわけだ。

70リットルのごみ袋1つ、40リットルのごみ袋1個が完了。
そのほか数年前に勉強したUSCPAのテキストなど、いつか参照するかな、と
思って保存しておいた古い知識も焼却炉行き。

我が家は今必要なものしか収納できない。
そこで、「今」とはなんだ、とか、「過去とはなんだったのか」とか、考えだすことに
なる。

ところが、わたしは心理学というものを基本的にあまり信用していない。
整理することや片づけることとは、過去との決別、心の整理と心理学的に考える
人が多く、だからそういう書籍が売れている(らしい)。

FOXのBONESをみていると、主人公のテンペランスも心理学に批判的な
立場を明確にしている。 だから主人公に自分を時折重ねてしまうわけだけど。

信用していないから、といって、無視するわけではない。
心理学を信用している他人がどのように物事を捉えているのか、について
ある程度の理解ができなければ、とても文学の研究などできやしないからだ。

昨日は河合先生の『無意識の構造』(中公新書、1977)を精読し、要点を
まとめておいた。 河合先生はもと京都大学のユング派臨床心理学者で
はっきりいって、この手の権威だった方だ。 
詳しくは Wikipedia をどうぞ。 

無意識の構造 (中公新書 (481))

河合 隼雄 / 中央公論新社


ユングの心理学を日本に初めて紹介した方で、巷にあふれる怪しげな
心理学的な書籍を読むぐらいなら、1977年と多少古いがまったく色あせる
ことのない、こちらの本を読むことをおすすめする。

フロイトとユングの違いをいまひとつわかっていなかった私にとって、この新書だけで
十分に理解することができたし、著書でも書いてあったが、心理学というものは
万国共通というわけではなく、日本には日本人的な心理学の理解があって当然
だという内容に大きく共感した。

心理学的に文学を分析する手法も方法論として広く定着していて、多くが西洋的
ではあるが、日本人が心理学的に文学を分析するときには、それは日本人でしか
ありえない考え方になるはずである。
しかし、それを英語共通語としての世界にいかに「日本人としての心理学的文学研究」を知らしめるか、ということは課題があるだろう。

なぜなら、日本人は整理整頓でさえ、「心の整理」を考える国民性(人種といって
いいか)だからである。

わたしがいかにも心理学は好きではない、と言ったところで、長年勉強してきた
USCPAのテキストをおいそれと捨てるわけではない。
でもそれはテキストに愛着があったからではなく、自分が投資してきたものの
時間や深さについて思いを馳せたりしてみただけだ。

愛着というものは、縦糸に時間があり、横糸に気持ちがあって、それらが
自らがパタンパタンと織り合わせていた結果の反物のようなものかもしれない。
しかし私には出来上がった反物に直接の興味はなく、その反物を使ってどのような
着物を作るか、どのようなドレスに仕上げたのか、のほうにはるかに執着する。

できあがった着物やドレスがいかに時間をかけて織られた布からできていようが、
一度服になってしまったものは、誰かに(あるいや自分に)着用されて、着古されて
こそ価値があるのではないか。

そして、着古されたものは、単に薄汚れた糸の寄せ集めにしか見えないこともある。
そのとききっと私は思うのだろう。

ずいぶんくたびれてしまった、と。

段ボールのなかにしまいこんでいた、使いこんだテキストを手に取ることもなく、
ゴミ置き場に運ぶとき、そこにはもはや愛着のかけらもない。
ただのインクと紙の束にしか見えないのだ。
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by MySakuranbo | 2012-03-15 11:27 | 日々の出来事 | Comments(0)

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