カテゴリ:-趣味のアメリカ( 25 )

英語の精読

最近ある文章を読んでいて、「大学の文学部に大量の女子学生がなだれ込んだことで大衆化し質が低下した」というような文章に出会った。出典はあえて言わない。
ものすごく反論したかったのだけれど、まぁ、客観的な事実として女子大学生が増えたことは事実なのである。それを「大衆化」につなげるところにこの文章の恣意的なものを感じるのだが。

ちょうどその本を読んでいたところに、今日たまたまこの本も読んだ。
(今は5~6冊の本を読みかけなので、こんな風にランダムにすすむ)

英語を学ぶ大学生と教える教師に―これでいいのか?英語教育と文学研究

渡辺 利雄 / 研究社



渡辺利雄先生はあまりにも有名な英文学の先生なので畏れ多く読んでいるのだけれど、身につまされることが多い内容。
先生の主張(英文読解は辞書をしっかり用いて語句のひとつひとつを丹念に調べ上げ「精読」することからはじまるので、むかしに戻れ)には少しの反論もないけれど、なんというか、先生たちが生まれて、勉強してきた頃(1950年代)とはやっぱり今は違うと思うのだ。

強いて言うのであれば、精読プラスアルファが求められてしまっていて、プラスアルファを捻出するために、精読の時間がカットされてしまうことは致し方ないのではないのではないか。
また、英文学の研究家になることの意味や目的が1960年と2012年では全然ちがうと思う。

英語がある一部の特権階級のものだった時代はとっくに終わっている。また、英語はあるときから芸術じゃなくて、実用品になってしまった。
これはアメリカであっても、日本であっても。
この前に識字率の話を書いたと思うけれど、アメリカでは率先してNew York Timesを読む層とUSA Todayを読む層と今だに文化意識も違うし、大袈裟に言えば、年収だってちがう。

International Englishとしては実用品なのだ。
でも、わたしのように英文科的研究をこれからもやりたいと思う人は、
芸術英語により焦点をあてたいので、渡辺先生が言わんとされることはうなづける。
でも、だからといって日本の英文科すべてに「精読せよ」というのは難しいことではないかと思うのだ。

この本が書かれたのは2001年。
もうそれから11年も経っているので、違和感、というか、当時先生が思われたような状況からはさらに遠ざかってしまっていると思う。
実用英語(いわゆるビジネス英語)と芸術英語がどのように共存させていくか、が、これからは問われていくんじゃないかと思う。

英語そのものにArtを見出すのか、英語をToolとして使うのか。

大衆化した文学部において、昔を録り戻すのは無理だろうと思う。
変革というのは、すこしずつ良いものを集めて新しいものに変えていくことだ。
両者の良いところをあつめてReformしていくことの責任はきっとこれからの研究者であり指導者の役割なんだろうと思う。

わたしは今は丹念に精読するほうをやっている。
だからやってもやってもきりがない。
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by MySakuranbo | 2012-01-29 20:19 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

月曜日の雨の午後に

ソール・ベロー(Saul Bellow)を読むつもりで、本が横に置いてある。
数か月前に買い、読みたい気持ちは十分にあったのだけど、手をつけずにいた。
まぁ、時間もなかったし。

ここ数か月の私の文学歴を見ていて、わかる人にはわかると思うが
わたしはユダヤ系文学に非常に興味がある。
というより、時には自分と対比することによって、ものすごく共感したりもする。

ユダヤ人と聞くと、たいていの日本人は第二次世界大戦時のナチスドイツの
話を思い浮かべると思う。
あるいは、大富豪かのどちらかだ。

わたしも最初はそんな一人だった。

民族をひと括りにして語ることはとても危険だ。
そういう発想がかつての大殺戮を産んだわけだし、今も世界のどこかでは
そんな勝手な一括りのために、苦難の人生を歩んでいる人たちもいる。

日本人は、とわたしがここで言っててしまうことだって、大方のところ、自分の
経験や体験をオーバーに脚色して言っているにすぎない。
でも、ユダヤ人作家は、「われわれユダヤ人は」について、非常に客観的な
目線を持っている。

そういう民族論が好きな部分が、なぜか日本人と重なるところがあるんだな。
もちろん歴史はぜんぜんちがう。
かたや、黄金が眠る島と言われた日本に住む私たちと、かたや安住の地の
なかった人たち。

ベローはノーベル賞もピューリッツアー賞もとっている。
すぐれた作家というのは、文学者であるケースはあまりなくて、
彼も人類学者である。
(アメリカ人のノーベル文学賞は過去に10人が受賞、ちなみに
日本人は大江健三郎と川端康成のみ)

さ、やはり途中まででもいいので読むかね。
冷たい雨がふる月曜日の午後にはぴったりかもしれない。
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by MySakuranbo | 2012-01-23 15:46 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

古き良きルネッサンス

On snowy day...

金曜日だというのに朝から暗い。
自宅のほうでは雪にはならないみたいだけれど、大学のあるあたりは
ひょっとしたらちらちらと混じるかもしれない。

この雑誌を買った。
最近はめっきり雑誌を読むことが減ったのだけど、penは時々ものすごい
精力をかけて調査した記事を書いたりするので見ることがある。
大学の図書館でこれを見かけて、すぐさま買わなければ、と思い購入した。

「ルネサンスとは何か」
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イタリアからはじまったルネッサンスについてはずいぶん昔、中学や高校でも
勉強しているはずなのに、いったいそれが何を意味していたのか、を
ひとことで説明することなどとてもできない。

でも、西洋の文化、文明において、ルネッサンスがなければ、現在はなかったも
同然なのだ。

キリスト教の世界では、創造主は常に神である。 それは今も変わらない。
しかし、このルネッサンスという時期を経て、価値観が神中心ではなく人中心
になった、ということが言える。
好奇心から発展した技術、また技術から得られた結果などが重なり合って、
それまでの価値観ではどうやっても説明できないことがでてきた。

そういうことがルネッサンスだ、ということが前提の知識。
でも、具体的に、きれいに説明することができたらどんなにかいいだろう、と
ずっと思っていた。

ルネッサンスがなければ、アメリカ大陸の発見はもっと遅れていたかもしれない。
ルネッサンスがなければ、アメリカは黒船に乗って日本に来なかったかもしれない。

世界の視点で見てみれば、グローバル化の発端がルネッサンスにあると言っても
言い過ぎではないでしょうね。

つまり、グローバル化することは価値観の転換を求められる、ということに
繋がるってこと。(論理破綻していなければ)

価値観はそのままでいいとこどりをしようとすると、いずれ反乱がおきる。
グローバル化は大転換にむけてのあらゆる可能性を含んでいる、と
知っておきたい。
特に宗教的縛りのない私たち日本人にとってのグローバル化は、明治・大正
のころのような、富の格差が生まれることは予測できるはず。

古き良き時代、というのは幻想にすぎない。
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by MySakuranbo | 2012-01-20 09:16 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

ニュアンス、ニュアンス、ニュアンス

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皆々様のおかげです。 ありがとうございます。 でもまだこれから参加しようと思っていた方はまだ間に合います!  アンケートはこちら

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いまはインタビューをした方のテープ起し(実際はICレコーダーだが)をしているところ。
インタビューはもちろん日本語で行ったので、それをひとつずつ英訳をする。
この作業がかなり大変だということがわかった。 先生がそういえば、インタビューを起こすのは大変だと言っていたのを身をもって知ることになったわけだ。

私は文学専攻なので、通常この手のリサーチというのは必要とはされていないのだけど、今後、文学と女性、文学と仕事など文学の周辺にある文化表象と文学の関連は多かれ少なかれ研究対象にはなっているんだろうと思うので、今回規模は小さいながらもしっかりとしたプロセスを踏むことはいつかきっと役にたつと思っている。

そもそも自分は人の気持ちや感情のゆらぎのような細かいものを見ていくのが
得意ではないらしい。 授業の発表などで、他の子の意見をきいていると、
なるほどなぁ、と毎度関心させられるのだけど、私はそういう気持ちに寄り添うタイプの表現が苦手だし
あんまりよくわかってない。

なのでどうしても周辺にいきがち。
たとえて言うのなら、絵を見に行って、額について語るような・・・。
難しく考えすぎなのかもしれないけれど、私は本が好きだから文学を専攻したのではなくて、本を書くという作家の行為のほうに興味があるからかもしれない。

「なんでこんなところで教会についてながながと語るのだろうか。」
「彼が旅から戻ってこない(設定)にしてしまったのは、どうしてだろうか。」

と、プロット(話の展開)のほうにむしろ興味がある。
だからそれがどうなのだ、と言われると、理論的にまだ学習していない未知の理論もたくさんあるのでうまく説明することはできないのだけれど。

ところで、『武器よさらば』を読み終えた。
ヘミングウェイは斬新な文体を世に送り出したことは事実だし、作品としても老人と海同様の評価があったのだろうと思う。

しかし、だ。

隋所にでてくる自分本位な男のイメージが拭いきれないほどのダメージを与えてしまっている。
でも、男なんてそんなものだよ、とヘミングウェイは言いたかったのかな。 まぁ、それが新古典と言われる部分なのかもしれない。

いろいろな訳がでているけれど、金原瑞人訳、光文社文庫のものが読みやすくて良いと思う。
彼の訳では、主人公を「おれ」としているところが、唯一好きではなかった。
「おれ」と言えばハードボイルドなんだろうか。 日本語はIについての解釈が英語とは異なり
たくさんあるところがややこしい。
英語ではIはI以外の何者でもない。

だから文学批評についても、Iかそれ以外か、だけが焦点になって、私やあたしや僕やオレは問題にならない。
細かい心理描写についても日本人のほうが得意だとは思うけれど、それを表現してみたところで、海外の人に伝わるわけではない。

だから、表現が苦手でも、いいのだ、

という結論にしたかった。
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by mysakuranbo | 2012-01-19 17:32 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

読書のはやさ

6ページまでやったところで今日は終了。
予定時間も1時間オーバー。

でも、着実に、確実に、いいものができあがりつつある。

12月末に作った初稿から2週間たって、その間の自分の進歩らしきものも感じられる。
やはり英語の本や論文を沢山よまなきゃだめだ。
苦労してフォークナーを読んだかいもあったし、わけのわからん論文を訳したこともよかったみたいだ。

フォークナーは結局500ページ全部読んでいる時間がなかったので、半分ぐらいのところで論文書きに移った。 細かいところはともかく、テーマを決めてしまったので、あとは拾い読み。こういうのは卒論ではできないけれど、単位レポートぐらいならなんとかなる。


今夜は気分を入れ替えて、ヘミングウェイの「武器よさらば」を読む。
いままで食わずぎらいだった(今も、それほど小説としては好きではない)が、文体がどうも自分の好みっぽいことがわかったので、本当は英語で読みたかった。
でも、来週に発表があるので、他の課題との兼ね合いで今回は日本語でイメージをつかむことになった。

本を読むスピードをもっと早くしたい。
日本語で読むスピードが私は早すぎるのかもしれない。
英語で読んでいると、日本語の1/3のスピードに落ちるのがとてもイライラする。

まだまだなのだ。
あ、オーストラリアに行ったときに読めるように、1冊アマゾンで買っておこう。
こうしてまた私の本棚には「いつか時間があったら読みたい本」というコーナーが増殖していく。

ちなみに「武器よさらば」は原題はFarewell to Armsです。
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by MySakuranbo | 2012-01-14 21:07 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

At the dining table in my study

自宅の書斎(という納戸的な収納部屋)をどうにかしなければならない。
クローゼット部屋にデスクと本&その他の棚があるという状態でとても勉強できる環境とは言い難い。 そして夏は暑く、冬は寒いのだ。

エアコンを設置したいのだけれど、エアコンを設置する付近まで物が積まれていることと、クローゼットが邪魔をしていて設置することができない。
本来書斎であるべき場所にベッドが置いてあり、寝室であるべき場所に机が置いてある、というレイアウトにしてしまっているので問題が起きているのでどうにかすればいいだけなのだけど、今のレイアウトも気に入っている。

でもこんなに食卓付近に参考書なり本なりを積んでおく状態が恒常化するのはよくないし、食卓と机は分けたいのだ。

studyという言葉は、勉強する、という意味で覚えているかと思うけれど、名詞で「書斎」という意味がある。

From his study window he can see the street.
彼の書斎から通りが見える。

のように使う。denと意味は同じになる。
でも、日本ではdenのほうばかり使われていて、studyと使われているのをあまり見かけない。
そればかりかstudy roomとroomをつけてることが多い。

study room でももちろん通じる。
でもstudyのひとことでいい、というのも知っておいて損はない。

今日はヘミングウェイについてのレポートを作る。
ヘミングウェイは1961年に死去した。 死去してから50年経つものの、小説家なんてみんなすごく昔の人というイメージでいたので、親しみがわく。彼は新聞記者だったので、文体に特徴がある。 小説家というより新聞記者なのだ。

さて、2時間でしあげよう。
studyという名の食卓で。
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by MySakuranbo | 2012-01-12 08:43 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

時間とは

普段わたしたちが意識している時間の流れとはどんなものだろうか、と
考えてみる。

文学では言葉に、行間に、時間の流れを感じさせるものが多い。
わたしは特にその「時間の流れ」になぜか敏感になる。

もともと「人物像」や「人物」にあんまり興味がない、ということもある。

Kateという登場人物がいたとして、Kateがどのような運命に巻き込まれるにせよ、KateはKateなりにやったんだよ、きっと。

という見方をしてしまうので、それよりも、Kateが自分ではなんともできない「運命」だったり「時間」だったりというものに、自分を置いているような物の見方をしがちである。

それはどう考えればいいのか、難しい。
文学研究の対象として、「時間」ということにこだわるのが果たしていいのか。
(つまり、人物に迫らないままに、という意味で)

おそらく、わたしの考え方は

人は変わる
時間は変わらない

という設定の中にあるからかもしれない。

時の流れというものは、今、こうしている瞬間にも、自動的に流れていくもの。
ブラックホールにでもいない限り、時間は流れていくのだ。

ブラックホールでは時間の概念はない。
本当に大きく考えれば、我々が時間を意識している理由は現在の「宇宙」があるからなので、時間を意識するということは、宇宙的なのだ、ということもできる。

ブラックホールの近くに行くと時間と時空は歪んでいく。
そういう歪みのようなものを文学の中に見出していくことが、わたしの楽しみなのかもしれない。

卒論のテーマもこのような「時空の歪み」を意識できたら、と思う。

ブラックホールや時空の歪みについては、スティーブン・ホーキングが詳しく書いている。
わたしは物理的なことはぜんぜんわからなかったくせに、アインシュタインの理論には激しくはまった。 中学校のとき、タイムマシンで旅行ができるのか、という作文を書き、アインシュタインの勉強をした記憶が残っている。 そしてもちろんホーキング博士の著書もかなり早い時期に読んだ。
(物理的なことはわからないけれど)世の中には自分の知らないところで、知らない力が働いており、意識と無意識には絶え間ないギャップがある、とその頃から気づいていたのかもしれない。


子供のころの勉強なんて役にたつのか、と思う人もいるかもしれないけれど、
アインシュタインの公式を覚えていた(E=MC2)ので、この前のWriting のクラスで教授がいきなりその話をしたときに、その話の「おもしろさ」についていくことができた。
勉強なんてなんの役にたつのか、と聞かれたら、こういうといいかもしれない。

「役にたつかどうか、英語で考えたときにわかる」

英語を勉強するということは、英語で「何か」を知ることにあるのだから。


では、「英語なんているのか?」という質問には、どうこたえるのか?


時間の流れには逆らえない、としかいいようがない。
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by MySakuranbo | 2012-01-09 23:48 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

タイマー

大学からログイン。
深夜までかかった資料もようやく提出でき、これから次の課題に移ろうとしている。
眠いので、目覚ましのためのブログ。

ランチを大学院の話をしながら食べた。
その子も大学院に進学を考えている。
お互い課題の多さに辟易しているけれども、大学院入試のほうがもっと大変ということで「お互いがんばろう」モードで終わる。

いまから要約の課題。
英文17ページ!! しかもわけのわからん論文!
目標終了時間は16:00。

終わりを決めたほうが良いものができる。

よーいスタート。
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by mysakuranbo | 2012-01-06 13:46 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

パズルはつながる

なんかファン機能というものができたらしい。
プロフィール横の「ファンになる」をクリックするだけらしいのですが、エキサイトブログだけなのかもしれない。気になる方は押してみてください(笑)


ふぅ、今日はひたすらフォークナーを勉強。
思ったよりも発見が多く、やはり題材として選んでよかったのではないか、という気がする。
読むよりも前に作品分析を読んでいて大丈夫なのか、と思ったけれど、これほどまでに巨匠になると、いろいろありすぎるので、まずは背後や前後の関係をクリアにしてからやるほうが「効率」がいいだろう、と思ってのこと。

ただし、本来、小説というものは、理屈や予備知識なしに読むものだと思う。
ん~、これはモダンな読み方だな、でも。

昔の小説は水戸黄門みたいに、あれがこーなって、あーなる、ということがわかりやすかった。
でも、現代の小説は予想もつかない方向に展開する。
だから読者は面白いと思う。
その予想外の展開に。

こういう発想が生まれたのはアメリカでは1950年以降のこと。
現代文学と呼ばれる境目がちょうど1930-40ぐらい。 もちろんさきがけ的なものはあったけれども。

というわけで、わたしの100万ピースぐらいあるパズルも、たまには繋がることもあるもんだ、と
今日はこっそりとその発見をひとりで楽しんだというわけだ。
明日提出の課題もできた(ほぼなげやり)。

1月は毎日こんな日が続く。

こんなことばかりしているけれども、来月のオーストラリア旅行の準備は着々とすすんでいる。
あと足りないのはパスポートとビザだけだ。
肝心なものがない。
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by MySakuranbo | 2012-01-06 02:35 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

巨匠に挑む

フォークナー(William Faulkner)を読もうかどうしようか考えている。
日本語に比べ英語の本を読むスピードは圧倒的に遅い。
また、難解になればなるほど、つまづくのだから、フォークナーなんて読めるのか?
という素朴な疑問、というより、若干の恐怖があるわけだ。

課題を「こなす」ために本を読むようではイカンと思っている。
だからこそ巨匠に挑まなければと思うのだけど、どうしてこうやって大変な方に行くかなぁ、と自分を少々恨むことになる。

読み始めたら後には引けない。
夏にハックルベリーフィンを読んで、もがき苦しんだが、読む前と後では圧倒的に単語量も違っているし、なにより、「あの、ハックルベリーフィンを原語で読んだ」ということが自分の歴史に刻まれた。

最近は授業以外でまともに英語の本を読んでいない。
分量はハックルベリーフィンの2倍はゆうにあるが、挑む価値はあるように思う。
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by MySakuranbo | 2012-01-05 11:00 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

毎日が新発見 【2017限定】USCPA合格への道を綴ります


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