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コースターのない話

今日取りかからなければならなかったことが全て終わってしまった。
大学で明日までに提出しなければならない、卒論関係の題目と参考文献のリストの作成が主な作業であった。 考えていたよりずっと早く終わってしまった、ということをを手際の問題ということにしては、大学の勉強としてはいささか軽んじてはいまいか、と少しは躊躇したが、現段階では提出さえすればよいので、作成されたもので、評価は十分いただけるはずだ。

手際の問題は大学生が、大学時代から社会人にかけて学んでいくことになる重要な問題だと思う。 考える、答えを出す、悩む、迷う、という種類が勉強のすべてであって、「手際よくやる」ということは、通常は学問の蚊帳の外にあるものだ。

手際と要領はちょっとちがうと思うし、手際は要領よりも前にあるもののように感じる。まず、手際があり、要領が次にくると、そう感じる。(感じない?)

そういう意味で手際はテクニックで要領にはテクニック+思慮的なもの、が含まれてくるのかもしれない。要領がいい人は良い意味では「他をおもんばかった結果、他のためになることも含まれる良いこと」ができる人ではないかしら。 これが悪い意味になると「他をおもんばかった結果、謀略にまい進する」ということだ。


だから、人をほめるときにも

「手際がいいね」

は、100%いい意味になるが

「要領がいいね」

は、場合による、ということになる。

うまく使い分けて、相手が気づくか気づくまいか、自分のなかでほくそ笑んでいることもできる言葉だけに、ちょっと楽しい。 


うーん、なんでこんな話になってしまったのか。
私が本当に書きたかったのは、コースターを出さない喫茶店はだめだ、ということだったのに(笑)
コースターがないと落ち着かない気分になるのはわたしだけなのかなぁ。
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by MySakuranbo | 2012-05-30 14:12 | 日々の出来事 | Comments(0)

Give me your answer! - 日本人のYESとNO

日本人はYES/NOをはっきり言わない、とずいぶん昔から言われている。
だから外国人と話すときは、しっかり主張しないといけないのだ、と情報としては十分なほど行き渡っていると思う。

しかし、YES/NOをはっきり言わないとは、具体的にどのようなことなのか、皆わかっているようでわかっていない。 わたしもそのひとりだった。 確かに「答えをあいまいにする」という表現があてはまることはわかると思う。 しかしことはそんな単純なことではない。

Yes /Noをはっきりするとは、相手が求めている答えにスポッとはまるようなポット苗を用意してはめてあげることに他ならない。 つまり、内容は重要ではあるが、まずは形としてはまっていないといけない、ということになるのだ。 

実際にこれはわたしも最近また指摘されたことなので、日本の、世界のどなたかのために今日ブログで書いてみようと思った。 

たとえば、外国人がこんな質問をしたとする。

例 
あなたがもし部下をもったとしたら、どのようなことをその部下に期待するか?


この質問の肝はWhatである。
質問者は耕した土にWhatという穴を掘って待っていると思ってもらいたい。彼女(彼)が待っているのはその穴を埋めてくれる、ポット苗、だとしよう。
日本人がやってしまう答えの典型的な例を言う。


答A

わたしは部下を持つことは、その人の能力を管理するいうことだけはなく部下が人間として成長することだと思っています。 ですから様々な勉強の機会を与えるために、自主性を重んじて自ら仕事をやってもらいたいと考えています。あたしの部下になる人は積極的に自分の頭で考えて動いてくれれば、その人の成長と同時に自分のマネージャーとしての能力も向上すると考えます。


または、こんな答えでもいい。

答B

今までの経験で言いますと、わたしは部下と上司の関係はチームワークだと思ってきました。 何か新しいプロジェクトを効果的に進めていくには、日常のチームワークというものが必要になってきます。そのために日々の仕事のうちからそのような関係を築いていくことが大切です。 部下になるひとはそのようなチームワークに対応するように動いてもらいたいと考えています。


AもBも答えとしては上出来である。 あとは具体的な例を追加すればもっと良い。もしこれが日本人の面接であれば、面接官はこれらの答えにほぼ満足するだろうと思う。 しかし、外国人が面接官の場合、この答え方をしていては、ひょっとしたら落とされるかもしれない。 他の候補者との兼ね合いもあるが、答えとしてふさわしくないからである。

質問者は穴を掘って、がやってくるのを待っているのに、Aの答えもBの答えも、苗ではなく、栄養剤だったり水だったりして、的外れなのだ。

彼等が期待するとはこうである。

答a

わたしは部下には自主的に考える、行動することを求めます。 なぜならわたしは上司の仕事とは部下の行動を管理することが主の仕事ではないと思っているからです。 そのため、ひとりひとりが自己管理をし、人間として成長してもらえれば、自分がマネージャーとして本来しなければいけない意思決定の質や量が向上されると考えるからです。 ですので、わたしは部下に積極的に動いて欲しいと思います。


答b

わたしは部下にチームワークを期待します。
なぜなら部下と上司の関係はチームワークが必要だからです。 さらに、何か新しいプロジェクトを効果的に進めていくには、日常のチームワークというものが必要になってきます。そのために日々の仕事のうちからそのような関係を築きたいと考えるので、チームワークを最も求めています。 


答えをあげる、ということはこういうことになる。 言い回しはともかく、雰囲気だけでもつかんでくれるとわかってもらえるかな、と思う。 これはふだん日本にいて、日本語で考え、生活していると、A/Bのやり方をついついとってしまうのだ。 なぜならそれが日式だから。

でも、英語圏、ヨーロッパ語圏ではa/bの答えを上げるように、考え方のスイッチを切り替えないといけない。

Your answer sometimes does not answer my question.

これが極め付けに日本人がやりがちな間違い(としよう)なのだ。

Answer the questionとはGive them the answerなのである。


もうひとつ、もっとシンプルな例を言えば、

Do you like this location? (このロケーションは好き?)

と、聞かれたら

Yes, I like it. It is fantastic. (はい、好きです。とても素敵です。)

で、答えたことになる。 

ところが

Yes, I've known this location quite a long time, so I am very familiar what's here and there. I like it a lot.
(はい、この場所をずいぶん長く知っていまし、何がどこにあるか知っているんです。 わたしはすごく好きです)

と答えられるのは、

いらいらする

のである。

グローバリゼーションとはコミュニケーションと置き換えることもできると思う。日本人であれば、「あの人と話しているとなんかイライラするんだよな」という人とは、そうそう長い付き合いはしたくないし、できれば手短に淡々とやることだけやって終わらせちゃおうと思うし、たとえば他に何かいい情報があったとしても、いらいらする人には回さず、気の合う人に良い情報は届くものだ。

そう思いませんか?

Yes Noをはっきりさせる、という意味が、本当にどういうことなのか。
ここ数日でまた自分の考え方に新たな肉付けがされたかな、と思っている。 別に真骨頂でもなんでもないのだけれどね。
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by MySakuranbo | 2012-05-30 10:01 | -English | Comments(0)

クレジットカードセレナーデ

週末に衣替えをした、という話を書いた。
衣替えと同時に大量にでてくるのが、クリーニング屋のハンガーである。
我が家は通常のシャツなどはクリーニング屋仕様の黒のプラスチックハンガーで充分で、スーツやニットなどのみ、別のハンガーを使うか、タオルを巻いたりなどの工夫をして、それなりに節約をしているつもりでいる。

ハンガーは増殖する。
時折まとめてクリーニング屋に戻したりしているが、今回は20本も出てしまった。
10本ずつまとめて、袋に詰めた。

我が家のクリーニング方式は、こちらに引っ越してきてから宅配ボックス経由となった。
どれだけ出そうと、持ち運ぶ距離は1Fの宅配ボックスまでだ。 毎週2回きてくれることになっている。

このブログをずっと読んでいてくれる人は、わたしがいかにクリーニング問題を重要視しているかわかってくれていると思う。

それだけクリーニングは大問題なのだ、我が家にとって。 
そしてもう一つの大問題はクレジットカードである。宅配のクリーニングは月に1度のお支払で、しかもカード払いなのがすこぶるよい。 もし、これが集金だったら、わたしは宅配ボックスを使わないかもしれない。 クレジットカードがないと私はいきていけない。 すて奥(すてきな奥さん)に出てくるようなファイナンシャルプランナーが真っ先に、「まずクレジットカードを解約しましょう」とか言いそうなくらい、クレジットカードヘビーユーザーである。

クリーニングがクレジットカードで支払えるなんて、なんて日本は素敵な国なのだ、と心の底から思う。
コンビニエンスストアだって今やクレジットカードで買い物ができないところは知らない(行かないから知らないのかもしれない)。

クレジットカードに対して嫌悪感を抱いている人が(たとえばすて奥のファナンシャルプランナーのように)いるのは知っているけれど、それは物の見方の違いではないか、と思うし、おおいなる偏見だと憤ることすらある。

こんなに赤裸々に書く必要もないのだが、わたしは一括払いしかしない。
また、自分がいくらぐらい使っているかはWEB明細で必ず確認している。

悪いのはクレジットカードではないのだ。
でも、誰かを悪者にしないと、すて奥のファイナンシャルプランナーだって困ってしまう。

「あなたのずさんな管理が原因です」とはとても言えない。

真実とは常に見えないところに隠されているのである。
宅配ボックスで集配を待つ、黒いハンガーのように。
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by MySakuranbo | 2012-05-29 11:00 | 日々の出来事 | Comments(0)

贖罪のバルコニー

このところベランダの植物に愛情を注いでいる。
そればかりか、部屋の中のグリーンたち(No.1から5までいる)にもいつも以上に目をかけている。


そういうことにふと気づいたのが今朝のことだ。


冬の間、やる気があるのかないのかわからないままたまに咲いたり、葉を萎れさせたりしていたゼラニュームだって、爛々と咲いている。 それを見て、もっと咲かせてあげようと、置き肥を数粒プランタに投げ込んでみた。

こちらに引っ越してきてたった1度だけしか花をさかせなかったクレマチス(幻のクレマチス)もひょっとしたら今年は咲く気があるのかもしれないと、液肥を週1回施すようになった。

花殻をひろってやったり、雑草をむしってやったり、肥料を放り投げるということが私の定義する「愛情を注ぐ」ということなのだ。

何かに(誰かにでもいい)、自分の愛情を施すということは、その行為そのものにも生命の活力的な意義があるとは思うが、実際には施しを通して、自分が救済される、というような意味あいのほうが強いのではないかと思う。

わたしはキリスト教徒ではないが、キリスト教には自らが救済される (redemption という)ために、生きるという考え方がある。 人は生まれながらにして罪人(つみびと)であり、その罪を贖う(あがなう)ことが必要なのだ、ということがキリスト教の(大方の)教義と理解している。 ユダヤ教にはこの生まれながらにしての罪人という概念はない。 これらの罪のことを「原罪」と呼ぶ。

土着的日本人にとって、ふつうの非キリスト教系幼稚園、学校を経由して日本で暮らしている場合、この、生まれながらにして罪人ということへの解釈は非常にわかりにくい。

原罪ってなんだ。
償う(つぐなう)、贖う(あがなう)ってなんだ。

そういうものを少しずつ理解しようと、今大学で勉強しているわけだが、もし私がそれは何かを誰かに教える機会があるのであれば、ひとつにはガーデニングというキーワードで説明ができると思う。

キリスト教でgardenと言うと、もちろん庭という意味もあるが、あの「エデンの園」を彷彿とさせるからだ。 とはいえ、ガーデニングがイギリスで盛んになった背景には、人々が花々を愛でるという情緒的なものから発生したわけではない。

キリスト教的な発想では、自然はすべて脅威であった。
自然は管理し、統治し、支配するもの、という位置づけだったのである。
荒れ狂う雑木たちに刻みをいれ、生垣にしたてていったことですら、自然を管理したかったからで、「生垣の美」が当初からあったわけではないのだ。

しかし、現在ではガーデニングは人の心を癒し、花を育てるという安らぎ、嗅ぐ、見る、触るという五感を通しての命の息吹に、まるで自分のエネルギーが共鳴しているかのような感覚に誘われるのは万国に共通のはずである。 もはや、自然を支配する、という考え方も遠い過去のものである。



そして我が家のバルコニーに目をやってみる。
空は青く澄んでいて、洗濯物がたなびいている。 初夏の陽射しを薄いベールのカーテンが柔らかく遮り、家と外とを隔てている。ゼラニュームには数粒の置き肥が放り込まれている。

それはここからは見ることができない。
その白い粒たちはひそやかなわたしの分身なのだ。 


罪人たちはそのようにして、静かに贖われていく。
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by MySakuranbo | 2012-05-28 10:08 | 日々の出来事 | Comments(2)

衣替え

週末はなんとしても衣替えをする、と水曜ぐらいから意気込んでいた。
今日の昼過ぎからようやく開始し、日暮れ前にはなんとか完了した。 目標としては電力を消費しないで衣替えをしよう、ということだったので、電気をつけながらやりたくはなかったのだ。

我が家はマンションだけど、日当たりがすこぶる良いので、基本的に日が暮れるまで家の中で電灯をつける必要はない。唯一、灯す場所と言えば、トイレと脱衣場ぐらいだろうか。

衣替えとひとことで言っても、後ろにあるものを前に出す、という単純なものではない。
昨年の夏、確かに履けたはずのパンツが本当に履けるのだろうか、昨年からややパツパツだったシャツに今年はしっかり腕が通るのだろうか、ということを1着1着確かめながらすすめなければいけない。 これが時間がかかるのだ。

幸いここ2年ほどは体形にさほど変化はないようで、昨年履けたパンツは履けたし、数年前からボタンがとまらなかったシャツは案の定そのまま、ということわわかり、ある意味安心したわけである。

いらない服(小さくなった服)は実家行きということになっている。
母はわたしよりも身長は10㎝小さく、体形は2回りほど細いものの、わりかと頑丈そうな体格で私の服をお直しして着こなしている。

DKNYとか書いてあるTシャツだって着てしまう。
BANANA Republicのニットも普通に着まわしている。

母は裁縫で仕事をしていた人なので、自分に合うように、ウェストを詰めたり、丈を詰めたりしている。 素材のよい海外のコットンなどはお気に入りのようだし、「海外のデザインは洒落てていいわね」なんて言うので、見る目はある、すごくある。

わたしは自分の服のセンスは悪いほうではない、と思っているし、そういうセンスも母から授かったものだと確信している。 しかし母自身はバナナリパブリックで買い物をしたこともないし、DKNYがどんなブランドなのかもよくは知らない。 最初はわたしのお古ばかり着て、と思っていたけれど、服より本人のほうが古ぼけているせいか、相乗効果か錯覚かでなぜか母が若々しく見えるのだ。

クローゼットの服をいったん全部だしてみたら、気に入っていたはずなのに、そういえばこの前の冬には一度も履かなかったスカートを奥のほうから発見した。なんでだったかしら、と見てみると裏地が破けていた。

裏地をそっくり取り替えるというリフォームをこのあたりの店で頼むと、おそらく数千円はかかるかもしれない。
目が悪くなりはじめている母に頼んでもいいものか、少し考えたけれど、電話をすることにした。

「気に入っていたスカート、裏地破れていて取り替えてほしいのだけど、お母さんできる?」

やってあげるからもっておいで、と母は快い返事だった。

「そうそう、衣替えしていて、また着れなくなった服が沢山あるから持って行くわね。」

痩せればきれるんだろうに、と母なりに私を心配していたようでもあり、半ばわたしが持って行く服を楽しみにしているようにも聞こえた。

結局(小さくなった服)はCOMME CA DU MODEと書いてある大きな袋いっぱいになった。 前は丸めて紙袋に放り込んでいたのだが、今日は一枚一枚丁寧に畳んで入れておいた。
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by MySakuranbo | 2012-05-27 19:06 | 日々の出来事 | Comments(0)

ブログ On Live

21:04
さっきの記事を読み返し、なんとなく尻きれとんぽなので、続き(らしきもの)を書いてみようと思っている。
お風呂あがりにね。


22:03
そしてお風呂あがり。
Men in Blackを見ながら(聞きながら)、のんびりと黒霧島のロックを飲んでいるところです。黒霧島は最近のわたしの中でのブームで、苦手だった芋焼酎が好きになってしまったほど。

Men in Blackのような映画が日本で作ることができない最大の理由ってなんだろう、と考えてみる。小説でもエッセイでもそうなのだけど、日本はリアルである、ということにこだわりがあるらしい。つまり、小説でもリアリズムを追求するために、作品自体の現実からの逸脱が限られてしまう。

たとえば、

地下鉄東京駅の階段を下りていき、成田エクスプレスのホームで、成田エクスプレスにすぐには乗らすに、ドアが閉まる直前に飛び込んで乗ってみる。 駆け込み乗車はおやめください、というアナウンスのかわりに、

Welcome on board. This train is a super NEX skyway bound for cyber space.
Please fasten the translucent seat belt ahead of you which may not be visible for you for your safty. The train will move 1.5 mach per hour. Please do not touch any button above your head as it may cause to exhale you into space.


というアナウンスが流れた。


という小説があったとしても、日本人は「なんでこんなバカげたことを書くのだろう」と思うのかもしれない。
村上春樹の小説で最近の1Q84も、あれは相当なるファンタジー小説なんだけれど、ファンタジーの概念はちょっと日本では足りてない、という批評を読んだことがある。

だから、どれもこれも「リアリスム」ばかり追求し、社会の悲劇、孤独、犯罪、悲劇、恋愛といったどこにでもある身近な話題を

もっともらしく

伝える、ということに精力が注がれるのだ。

Men in Blackのようにバカバカしいことを真剣にやっている映画ほど面白いものはない。 ユーモアなんてものは、汗水たらして大真面目に馬鹿をしないと生まれないものなのだと思うからだ。

さっきの続きを書こうと思っていたのに、まったく全然違う話題になってしまった。
そんなこともある、ということで、勘弁してください。

アナウンスの意味
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by MySakuranbo | 2012-05-25 21:05 | 日々の出来事 | Comments(2)

A tag for "English Speaker" 英語ネイティブというレッテル

"But don't forget you are a Japanese."

と、そのネイティブは言った。


私は英語に対しての圧倒的な熱望、渇望があり、さらなる高みを目指している。
どのような場面であっても、ネイティブと話をする時には

By the way, it may be a stupid question if I ask you about...

「ところで、もしかしたら馬鹿な質問をしているかもしれないのだけれど・・・」


と前置きをしながら、私の英語のレベルは客観的に見て、聞いて、どのような印象を持つのだろうか、ということが気になるのだ、と打ち明けてみる。

数秒の





そこにあり。


Well, you are a Japanese who speaks English, so we just think you are a English speaking Japanese. Then our interest is to communicate with such Japanese who speaks English, so and so... you are no native speaker afterall...

「きみは英語を話す日本人だから、僕たちはきみのことを日本人で、英語を話す人だと思うだけだし、だから僕らの関心というのも、英語を話す日本人とコミュニケーションがとっているってことだし、それに、それに、きみは結局はネイティブスピーカーじゃないんだから・・・。」


と、いうような回答をもらうことになる。

期待とちょっと違う答えをもらっている、ということはお気づきになるだろうか。
別に「君の英語はいいねぇ」と言ってもらいたいわけではない。 
ただ、客観的に、普段接している他の日本人の英語、外国人の英語と比べてどうなのか、ということを「文字にして」表現してほしいだけなのだ。

でも、彼らはそんな答えはくれないの、きっと、ずっと。


英語ネイティブの外国人は、英語しか話さない、という人が多く、それは育った環境とか、必要性とかが関係してくるのだろうけれど、概して、バイリンガルとはどのようなものか、が『想像の域』を超えないことが多い。

これがたとえば、フランス人で英語を話す人と、英語についての話になると、もっといろいろな意味で盛り上がる。 

きっと、わたしがさっきのような質問をしたときの数秒の間にすべての答えがあるのだろう。
結局のところ英語がネイティブだろうが、ネイティブレベルだろうが、流暢(fluent)だろうが、自国の言葉以外の言葉を用いて、他の人のことを理解できる”可能性”がある、とういことが、英語を使う一番のメリットではないか、と思うのだ。

英語ネイティブスピーカーが非ネイティブスピーカーを見る目線というものは

"OK, he is a native, but she is a non-native English speaker."

と、いちいち区分を付けているとしか思えない。

私たちは、あなたは日本語ネイティブ、だけど、あの人は日本語ネイティブじゃない、と、いちいちタグをつけたりはしない(と少なくとも私は思っている)。
だけど、私たちは

あの人は日本人だけど、あの人は日本人じゃない、というタグはつける。

そちらのほうがむしろもっと危ういのだが、この際そこはスルーする。
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by MySakuranbo | 2012-05-25 16:15 | -English | Comments(0)

英会話上達のためのマーク・トゥエイン

続けてもうひとつ。


ひさしぶりにがっつりと英語を話す時間があった。

「大学に行くようになってから、Speaking Skillが落ちていると思うのよ、
なぜならば、4年生になったら週に1度も英会話のクラスがないものだから」

というような言い訳をしながら話をしていたのだが、その相手のネイティブスピーカーが言うには

「君の英語、ぜんぜん悪くなってないよ、むしろFluentだから」


と、Business Englishと自己申告した私の英語力を

Business English Fluent

と書き直してくれていた。

それがとてもうれしくて、英会話の真髄というか、本当の力をまざまざと感じたのであった。つまり、英語というのは、会話だけを面白おかしく週に5回やろうが、まったく上達するものではなく、結局のところ、文章を校正する力が最終的に必要になってくるわけだ。

文章を構成するとは、すなわち、文法である。
すなわち語順であり、すあわち語彙である。

どんなに困難であろうと、辞書というものが存在する以上、最低限の文法がわかればたいていの英文は読むことができる。たとえばMark Twainなどは簡単な英文法で書かれているので、多少の単語がわからなくても、それは辞書をひけば読めるのである。

そういうことを地道にやりながら1冊、2冊と本を読んでいくうちに、英語は格段に上達する。そして、その結果、するすると言葉が脳というより、脊髄からでてくるようになるのだ。 英会話を本当に話せるようになりたい人は、Mark Twainでも読んでみればよいと思う。

そういう私は今日大学からThe Man That Corrupted Hadleyburgという本を借りてきた。
この本はあまり訳本はでていないのだが、ハドリーバーグを堕落させた奴、というような意味のタイトル。

300ページ以上ある長編フィクションだが、面白そうなので読んでみようと思っている。
書かれたのは1899年で、アメリカは当時領土拡大を画策し、フィリピンを併合(というなの植民地化)し、グアム島が領土とされたきな臭い時期のことであった。

読んだらまた感想を書いてみようと思う。
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by MySakuranbo | 2012-05-24 23:18 | 趣味のアメリカ | Comments(0)

学生飲み会

昨日は前の会社の同僚と丸の内で、今日は大学の友人と池袋で
2つのまったく異なる種類の飲み会を連ちゃんしてきた。

どちらが居心地がいいか、といえば、それは丸の内でしっとりと飲むほうが自分のスタイルに合っているような気がするけれど、池袋の居酒屋でわいわいと(年甲斐なく)騒ぐのも、結構いいものである。

女子だけの10人の飲み会だと、ガンガン飲むというよりは、

わたしはストロベリーチチ
わたしはパイナップルマンゴーフローズンなんちゃら

という、飲み物が行きかうわけだが、そんななか


黒霧ロックで


という渋い飲み方をしちゃっても、十分受け入れてくれている環境がうれしい。

2時間おしゃべりし通しで飲んだのだけど、私のほうは飲み足りなくて仕事帰りのとしくんを誘って日高屋でラーメン&ギョウザ&生ビールをいってしまった。

ガッツリ飲みたいというより、ガッツリ食べてしまった木曜日であった。



大学の友人に、大学院に行かないことをカミングアウトしたら、皆すごく驚いていた。
大人の就活に興味津々ながらも、たぶんうよくわかっていないのかもしれない。 明日は朝から面接だ。
いくつかポツポツお話しが舞い込んできているので、また例の汗まみれのスーツ(sweat suits)の日々がくるんだな。
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by MySakuranbo | 2012-05-24 22:58 | 日々の出来事 | Comments(0)

いろいろな近況

最近すご~く、新規の方が増えてきてくれてちょっとうれしい。
特に海外在住の日本人の方がよく利用されているみたいで、そういう意味ではグローバルブログになりつつあるみたい。 海外にも日本人がそれだけ多いってことよね。

シンガポール旅行の準備第2弾として、行きたかったレストランのリサーチをした。

というより、友達にしてもらった。


前につれていってもらったレストランの名前を忘れてしまって、再度教えてもらったのだ。予約がいるか訪ねてみたところ、やっぱり予約は必要みたい。 シンガポールのレストランでそこそこ有名かつ観光地的な場所にあるところは予約、する、しないでずいぶんとお席なども変わってくるらしい。

久しぶりにシンガポールの友人にも会えそうでちょっと楽しみになってきた。

それと・・・

しばらく放っておいた卒論関係のリサーチ、今日からまた復活してやることにした。
こういうのって波があって、がーっとやりたくなるときと、何もやる気がしなくなるときがある。
しばらく英語も読むのも嫌になってしまったり、と、気分も上がったり下がったりの連続なのだけど、そういうストレス(といっていいのか)にもまれながら、よい論文というものができあがっていくのだ、たぶん。

明日は授業はない日だが、1日真面目に文献の読み込みをしようと思う。
そんなムードになってきた。


それからもうひとつ近況を・・・

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by MySakuranbo | 2012-05-22 20:28 | 日々の出来事 | Comments(0)

毎日が新発見 【2017限定】USCPA合格への道を綴ります


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