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Discovery!

毎日が新発見

本質的なわたし

私が今の仕事につくことになって、真っ先に思ったのは、

ちゃんとやろう

ってことでした。

今までが適当だったのかというと、そうでもなかったと思うのですが、自分でしっかり歩いていたのかと考えると、やや疑問。ナントナク流れに任せてしまったり、ナントナク周りを気にしすぎてしまったり、あるいは、誰かの期待に過度に応えようとしていたり、等々です。
でも、周りの人たちは、私が日々こんなことに悩んでいたり、考えたりするなんて、これっぽっちも想像していないと思う、たぶん。
大変そうではあるけれど、持ち前の明るさで仕事の成果も自然とくっついてくる人ぐらいに思っているのかも。他人が考える成果と自分のイメージするものは全然違うし、定義もあやふやで、自分にとっては至極当たり前のことが、誰かに気に入られたり、逆に嫌われる原因になったりもするものだから。

そう、まあ、ここ数年起きたことなんかをじっくり振りかえってみれば、流されるまま生きてはダメだなと気づいたわけです。

流れているときは、自分にはいい風が吹いていて、なんだかいい調子だと勘違いする。でも、流れる側にいるということは、別の角度から見れば、流されていること。流れに竿刺して、踏みとどまれと言っているのではなく、流れていく様を、しっかり見なければならないのではと思ったわけです。例えていうのなら、こんなかんじ。
新幹線が走っているとき、新幹線に乗っている方から見たら、周りが止まっていて自分が動いてます。自分は動いているようにすごく見えるし、感じる。実際A地点からB地点に移動もする。たぶん、そして、移動して帰って来ることにもなる。おそらく、少なからず疲れを伴って。だから、益々、動いたことに対して何らかの感情が生じで、結果として満足なり、不満足なり感じるのだと思う。
それが、まあ、つまり、仕事のやりがいだとか、生きがいだとかになる。たぶん。

でも、私は、なんだか、その新幹線を外から眺めていて、遣り甲斐だ、生き甲斐だと満悦している別の私に「まぁ、ご苦労なことで」と声をかけたくなったというわけですね。

だって、実際には、自分はほんの数歩しか歩いていないのに、瞬間的に移動しただけでしょ?machineのちからで。物凄く何かをしたような気になるし、実際移動はしているのだけども、それは自分の力じゃないんだよね、ってことです。そのくらい自分の力で動く、あるいは動かすのは実はすごくエネルギーを使うことだよね。

AとBを往復して何らかの経験値があがったところで、私は私です。本質的には。仕事になればそういうことはこれからも続くし、流れていく私にも沢山遭遇するのだろうけど、だからといって、それは私の一部であって、私の全部ではない。じっと流れを外から見ている本質的な自分をもう少し大切にしてみようではないか、と、思ったわけです。

うまく言えないけれど、ちゃんと、には、そんな意味を込めています。



by MySakuranbo | 2019-02-02 15:04 | -Jobs | Comments(0)

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